病気との闘い

幻聴

健二に、突然悲劇がおそいかかる

2014年9月健二はある耳鳴りを感じていた。そしてその耳鳴りはひどくなり、幻聴へと発展していった。
そしてその幻聴というのは自分はいかに悪いことをしてきていて、死ななければならなければいけないし、何度も何度も死ななければいけないというようなことを訴えてきてるのであった。


その幻聴があまりに頻繁に起きるので、本当に自分は悪いことしてしまったのはないかという錯覚に陥ってしまったのだ。


そしてある合宿に参加している時に、その幻聴がピークになり、5階から飛び降りてしまったのである。



脊髄損傷の生活に

なんとか下が芝生だった為、命だけは助かり入院生活に入っていた健二。目が覚めた時には病院の一室で、お母さんが泣いていたのである。


お母さん「けんじ大丈夫か? 生きていてよかった」
けんじ「自分は病院にいるの?もう体を動かないのか。」
お母さん「そうよ。背骨が15本も折れているの。もうベッドの生活なのよ」


その時幻聴は治っていたのだが、これからベッド生活が始まると思うと気分が一気に落ち込んでしまった。


それから一年半リハビリ病院で、リハビリをしながら回復を待っていた。

しかし一向に足を動くことなく、そのまま自宅に帰ることに。



ヒーリングをして、自立する生活に

自宅に帰っても特にすることは、なく、ただ毎日テレビを見る生活を送っていた。
しかし、あるとき、「そういえば、自分は、ヒーリングという気のようなもので、治療する仕事をしていた」ということを思い出す。


自分の脊髄損傷も、少しずつ治るのではないかと考えたのだ。


それから、自分の脊髄損傷を自分でヒーリングしはじめることに。


ヒーリングを続けていくと、徐々に神経が繋がってきているようで、痛みがなくなり、少しの時間座れるようになってきたのだ。


座れるようになると、パソコンを使えるようになり、パソコンで作業ができるようになってきた。


外出することは、まだ難しいのだがパソコンで作業できるため、何か仕事でもしてみようと思ったのだ。



ライターとして活動

早速クラウドソーシングサイトに登録。
仕事を探してみるが、何もスキルがない自分は、特にすぐに出来る仕事はなかった。


よく探してみると、文章を書いてお金をもらうという仕事があった。


自分は理系だったので、文章を書くのがとても苦手だったが、他にやる仕事がなかったので行ってみることにした。


すると、わずかな金額ではあるが稼げたのだ。


脊髄損傷でも、自宅で仕事ができることに喜びを感じた。


それからライティングの勉強をして、さらに仕事を受注できるようになってきた。


まだ一人暮らしできるほどの収入はないのだが、ある程度自立できるような状態になってきている。


今の目標は自立できるだけの収入を得て、実家から出て一人暮らしするということだ。



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