マット・ハーディー
マット・ハーディーその生い立ち
1974年、アメリカテネシー州でマット・ハーディーは生まれた。幼いころからプロレスで育った彼は順調にプロレスラーを目指すこととなる。
日本でも有名なドリー・ファンク・ジュニアの下でプロレス修行を受けたマットはやがて、20歳のころにプロレスデビューをはたした。
対戦相手は実の弟であり、長年の相棒になるジェフ・ハーディーだった。
やがて、1998年には若く才能あふれ甘いマスクを持ったジェフのついで、という具合でハーディー兄弟は世界最大のプロレス団体である「WWF」に入団することとなった。
マットは以前に何度もWWFの面接を行ったがそのたびに落ちるという苦汁を味わってきていたため、念願という想いがあったのだろう。
親友との出会い
彼が入団した当初、WWFはライバル団体だったWCWを倒し破竹の勢いで全米侵略を行っていた。軽量級にも力をいれたがっていたWWEの総帥であるビンス・マクマホンはジェフとマットのハーディー兄弟を「ハーディー・ボーイズ」としてタッグ戦線や軽量級などの戦線のメインに据えて活躍させようとしていた。
その時、マットはとある女性と出会う。
彼女の名前はリタ。
ハーディー・ボーイズのマネージャーを務めていた。
若い二人はすぐに恋愛関係となった。
また、彼はある男とも出会う。
それはハーディー・ボーイズのライバルとして何度もやりあうことになる「エッジ&クリスチャン」のエッジであった。
エッジはカナダ出身の若者で、鋭い目とハンサムな容姿でWWEの未来を担うことになるのは誰から見ても明らかだった。
同年代ということもあり、エッジとマットはすぐに親友になった。
裏切り
やがて、WWFはWWEになった。それでも長い間、マットはリタと愛情を、そしてエッジとは友情をはぐくんでいた。
そんなマットであったが、弟であるジェフのほうが人気が出てしまうことにフラストレーションを抱えていた。
ジェフには兄にはない甘いマスクがあり、女性人気が高いアイドル的存在になっていた。
そんなジェフも2003年にはWWEを去った。
その後、マットはヒールも善玉もできる所詮便利屋として活躍していた。
だが、そんなある日彼に悲劇が訪れる。
それは2005年だった。
なんと、マットは恋人リタが親友エッジと不倫をしていたことを知ったのだった。
マットは激怒し、親友であったエッジと杯を割ることとなった。
また試合の最中に脚本を無視してエッジを攻撃するなどプロにあるまじき一面をみせ、一時解雇という名目の休職処分に追い込まれることとなった。
それでもマットは長い間WWEの器用な脇役として重宝されていた。
だが、それでも弟と比較するとやはり脇役という枠から逃れることは残念ながらできなかったのだった。
それと真逆にエッジは団体を代表するヒールとしてさらにその輝きを増していった。
そして、団体最高王座であるWWE王座や世界ヘビー級王座を獲得するとその名声はさらに輝いていった。
やがて、2010年になるとマットはWWEを去った。
同じころ、エッジは首のけがが原因で引退することとなった。
和解
そんな彼の不遇に包まれた人生であったが、好転することとなった。2011年、マットはWWEからライバル団体だったTNAに移籍することとなる。
そこでも長い間不遇を味わっていたが、ある日突如として変わることとなった。
「ブロークン・マット・ハーディー」に生まれ変わった。
この「ブロークン・マット・ハーディー」は一種の変人キャラであり、ことあるごとに「delete」と叫ぶキャラクターになっていた。
これが観客に大うけ、とうとう弟ですらもその存在感を食うほどの活躍をみせた。
やがて、TNAだけではなく他団体に出張するほどの人気キャラクターとなった。
そして、WWEに少し戻った後すぐにWWEのライバル団体であるAEWに移籍した。
そこでは「ブロークン・マット・ハーディー」のキャラクターは封印している様子だ。
エッジも一時は引退していたが、2019年に9年間の沈黙を破り復活。
現在ではWWEの代表選手となっている。
さて、そんなマットとリタとエッジの関係はどうなっているのだろう。
実はこれは意外なほどにあっけない最後を迎えたといわれている。
時系列はわかっていないが、エッジはマットともめたしばらく後、リタと別れていたのだ。
原因はよくわからないが、リタはほかのレスラーと付き合っていたことから原因はリタの浮気ではないかともいわれている。
これがきっかけになり、エッジとマットは和解した。
二人の友情の前には過去の色恋などどうでもいい存在であったのだ。
今でも二人は団体は違うが、プロレスのマットに上がっている。