チャイナ(ジョアン・ローラー)
女傑の誕生
現在、世界中で女性の社会進出がうたわれて各地で女性を主人公にした映画などが作られている。プロレスでももちろんそういった挑戦は盛んにおこなわれている。
北米の市場では第三位に輝くインパクトレスリングでは団体の最高王座であるインパクト世界王座に女子レスラーであったテッサ・ブランチャードが巻くということがおきた。
また世界最高規模の業績を誇る団体といわれるWWEでは女子レスラーが特番の主役になることは少なくなっている。
しかし、人々の多くはある存在を忘れてしまった。
そう、かつてWWEには男子相手にも試合を行う女子レスラーがいた。
彼女の名前はチャイナ。
本名はジョアン・マリー・ローラー。
日本ではジョーニー・ローラーというリングネームで蝶野正洋とも試合を行ったことがあった。
彼女は1969年に生まれ、力道山のライバルとも知られたキラー・コワルスキーによってその才能を見出された。
そんな彼女は180㎝近い身長と80㎏近い体重という男顔負けの体格を持っていた。
1995年にデビューした彼女はやがて、2年後の1997年には当時はWWFであったWWEと契約を結ぶこととなった。
女傑の栄光
1997年に入団したWWFでは当時の団体の主人公であったDジェネレーションXの一員として加入。その男顔負けの体格をいかして、女子はもちろん男子とも試合をするまさに破格の扱いを受けていた。
1999年にはWWF最大の興行といわれるロイヤルランブルに女性でありながら初出場。
怪力世界一であったマーク・ヘンリーを蹴り飛ばして場外に転落させるというまさかの番狂わせを演じ、多くのファンからの称賛を浴びていった。
同年にはWWFで若手レスラーの登竜門ともいえるインターコンチネンタル王座を女子として初めて獲得した。
この頃にはDジェネレーションXのユニット仲間であり彼氏でもあったトリプルHよりも重いベンチプレスを持ち上げていたこともあり、かなりガチでも強かったのではないかといわれている。
しかし、彼女の栄光は長くつづくことはなかったのだ。
それにはある人間の影があったともいわれている。
女傑の転落
上記でも記したように、彼女は当時トリプルHという男子レスラーと交際していた。だが、このトリプルHは野心家でもあった。
彼はチャイナと別れると、WWFの総帥であったビンス・マクマホンの娘であるステファニーと交際をスタートさせた。
チャイナはこのことに激しいショックと憤りをみせた。
トリプルHは自身の出世のためにチャイナを捨てたのだと多くの関係者は語る。
このことに激しいショックを受けたチャイナはWWFを離脱した。
許された女傑
WWFを離脱した以降の彼女の人生は転落しつづけていった。2002年には新日本のリングに上がった。
ところが、この時代総合格闘技に押されていた新日本プロレスは『暗黒期』と言われる衰退の時期にあった。
当時のスターであった蝶野と試合をした彼女であったがこれもイマイチ話題を集めなかった。
また、当時付き合っていたショーン・ウォルトマンとともに来日するもののウォルトマンとも結局破綻となっていった。
さらに転落を進んでいった彼女はなんとポルノ業界に進出してしまう。
運が悪いことは重なるのか、当時健全化を図ろうとWWFからWWEに名前が変わっていたWWFではほぼ彼女の存在は黒歴史として扱われていた。
彼女もこのままではいけないと、当時はTNAという名前だったインパクトレスリングに上がりまだ自分は現役でもいけるということをアピールしたが、それでもあまり活躍はできなかった。
それでもいつかはプロレスに上がりたい、そう強く信じていた彼女は住居を日本にうつしそこで日本人男性と付き合うこともあったが、結局は破綻となった。
そして、2014年には46歳という若さでこの世を去った。
WWE チャイナさんの死因
死因はなんと薬物の過剰摂取。どこまでもついていない女。
それが彼女だった。
だが、その死後…彼女を再評価しようという流れが芽生えた。
2019年、DジェネレーションXの一人として殿堂入りを果たした。
そして、2020年にはWWE2K20というゲームで操作キャラの一人として再び姿をみせた。
恐らく、WWEとしては彼女の存在をなかったことにはできなかったのだろう。
いつかは彼女個人がWWE殿堂入りできる日がくるのではないだろうか。
その時、彼女を捨てたトリプルHもWWFを離脱して以降、人生は転落しつづけていった。