悲劇の英雄エディ・ゲレロ
サラブレッドのエディ
多くの日本人は知らないことだが、プロレスというのは海外ではファミリービジネスとして定着している。親がプロレスラーであれば、子供もその孫もプロレスラーになる。
こうして、プロレスラーという謎の多い仕事は脈々とその血を受け継いでいるのだ。
今回紹介するエディ・ゲレロはそんなプロレス一家で生まれた文字通りのサラブレッドであった。
メキシコを代表するプロレス一族「ゲレロ家」で生まれたエディ・エディは3歳のころからプロレスの英才教育を受けていた。
しかし、幼少期のエディは寂しい人生を歩んでいたといわれている。
何せ父親はエディが生まれたころにはすでに70近かった。
兄のチャボシニアやヘクターが彼にとっての父親だった。
血縁上甥っ子にあたるチャボジュニアは彼にとって弟のように育っていた。
また母親も気が付けば彼が幼いころに離婚していた。
つまり、まともな家庭ではなかったのだ。
この複雑な家系は生涯エディを悩ませる呪いになっていたのだった。
新日本プロレスへ
やがて、1987年には1931年からの歴史と伝統があるメキシコのCMLLに入団。ここでエディのプロレス人生は幕を開けたのだった。
主に甥っ子であるが、精神的弟でもあったチャボジュニアと試合をしていた彼にとってはプロレス以外の道はなかった。
その後、1992年には新日本プロレスへ入団した。
そこで練習生として来日していたクリス・べノワやディーン・マレンコと出会った。
エディ・ゲレロとクリスベノワとの関係
特にクリスべノワとエディは年齢も近く境遇も近かったこともあり、親友として後生仲良くすることとなった。エディ・ゲレロとサンダーライガーとの関係
新日本プロレスではあのサンダーライガーのライバルとして君臨し、ジュニアヘビー級王座の戦線を華やかなものにした。1996年にはスーパージュニアカップで優勝するなど活躍をみせた。
同じころ、アメリカ第三の団体であったECWに進出してべノワ・マレンコとともに活躍をした。
その後、アメリカでの戦場はECWから第二の団体であったWCWに変わっていったがWCWの閉鎖的な環境にはなじめなかったといわれている。
その分、日本で活躍をしていった。
まるでうっぷんをはらすように。
その頃には幼馴染のビッキーとも結婚をしていた。
まるでマンガの主人公みたいだったのだ。
WWEでの活躍
そんなエディにとって転機がきた。WCWの崩壊であった。
嗅覚の鋭いエディは2000年にWCWを離脱、友人であったべノワやマレンコとともに世界最大の団体であったWWFに移籍することとなる。
ここでエディはWCWで築き上げていた陽気なキャラクターを変え、ラテンの伊達男ことラティーノ・ヒートとして活躍した。
レフェリーの目を盗んで反則を行い、勝つという「ズルしていただき」のキャラクターを確立させていった。
元々はそうでもなかったがキャラ付けのためにあえてスペイン語訛りを強くして田舎者のキャラを推し進めた。
その頃にはエディはWWFを代表する名選手になっていった。
やがて、エディを追いかけるように精神的弟であったチャボジュニアがWWFにきた。
その頃にはWWFはWWEに名前をかえていた。
だが、そんな彼にも無論挫折はあった。
ドラッグだった。
エディは薬物依存症になり、その健康面を気にかけたWWE運営は彼を一時的に解雇にした。
そして、浮気をしてしまい妻ビッキーからも愛想をつかされた。
エディはこんな自分を変えようと決意した。
ビッキーの家まで行くと花束とともに「もう一度やりなおそう」と土下座、再婚になった。
健康にも気を使ったことでWWEにも戻ってきた。
そして、2004年彼の人生を変える試合がおきた。
アマレス上がりのヘビー級選手ブロック・レスナーとの決戦だ。
レスナーは脚本上ではあるが、エディの経歴を批判する。
「俺はお前より大きく強く若い、お前は薬物におぼれた負け犬だろう。」
しかし、エディは気にしなかった。
「お前の言うとおりだ兄ちゃん、おいらは薬物中毒者の負け犬だ。でもな、おいらが戦うのはお前じゃない、おいらの心の中にある弱さだってーの。」
エディはその気迫とズルさ、技術でレスナーに勝利。
WWE王座を獲得し、WWEの主人公となったのだった。
だが、順調に見えた彼の人生に大きな影がさすこととなった。
死、その影響
2005年、11月13日。その日は突然やってきた。
あまりにも突然のことだった。
ホテルの部屋から出てこなかったエディを気にかけた仲間たちが部屋に入ったところ、エディは眠るように死んでいたのだ。
エディ・ゲレロは38歳の若さで死んだ。
エディ・ゲレロの死因
死因は突然の心臓発作だった。薬物依存がたたってしまったのだ。
この死はただの死ではなかった。
あまりにも多くの悪影響を残すこととなった。
後ろ盾を失ったチャボジュニアはその後、屈辱のジョバー転向を果たした。
親友だったクリス・べノワは親友の死に耐えられなくなり2007年に一家心中を果たした。
そして、WWEそのものも大きく変わっていった。
WWEはべノワやエディの死をきっかけにクリーンで子供向けの路線を突き進んだ。
これは多くのファンを離れさせた。
TNAや新日本、現在ではアメリカ第二の団体になったAEWにその客をとられていったのだ。
多くのファンはエディの死こそがWWE衰退の合図であったとも語っている。
だが、彼の死はあるものの人生も大きく変えることとなった。
1人はレイ・ミステリオだった。
レイ・ミステリオへの影響
ミステリオはエディのECW時代の友人、公私ともにお互いを支えあった。ミステリオはエディの死をきっかけに、彼のいなくなったことで生まれた空白を埋めるべく活躍。
00年代後半~10年代前半を代表する善玉としてWWEを支えていった。
もう一人は妻のビッキーだった。
エディの死以降、ビッキーは亡き夫への愛に報いるためにWWEに参加。
そこでは笑われ観客に罵倒されるヒールとしてのキャラクターを確立させた。
エディは早くに死に、多くの物を傷つけた。
だが、それとは逆に多くの人の人生をいい意味でも変えた。
プロレス一の愛され者は今でも伝説として語り継がれているのだ。