デイブ・バウティスタ
苦難の人生
「ガーディアンズオブギャラクシー」などハリウッドの映画で現在第一線で活躍する男がいる。彼の名前はデイブ・バウティスタ。
かつてはバティスタというリングネームでプロレスラーをしていた。
しかし、彼の人生は苦労と挫折の繰り返しであった。
「野獣」というあだ名で称されたバティスタの受難に満ちた人生を振り返ってみたい。
1969年バティスタは父がフィリピン人で母がギリシャ人という複雑な家庭の下で生まれる。
しかし、この生まれた時から彼は受難にさいなまれていた。
彼が幼少期に両親は離婚したのだ。
双方の家族を行き来しながら過ごすこととなった。
今、我々が普通にいる両親が分かれ双方の家族を転々としながら過ごす彼の人生は孤独に包まれていた。
遅すぎたプロレスデビュー
長い間ボディーガードや酒場の用心棒をしていたバティスタであったが、プロレスラーに転向をはかる。そして、プロレス名門一族であるサモア系の「アノアイ一家」の一人であったアファ・アノアイの作っていたプロレス団体でトレーニングをはじめた。
そのころ、彼は29歳だった。
明らかに遅かったのだ。
普通、プロレスラーといえば10台から練習を始めるもの。
明らかにバティスタは浮いていた。
おまけに彼には欠点があった。
スタミナ不足だった。
これが生涯彼のプロレスのキャリアを大きく邪魔することとなった。
だが、彼はあきらめなかった。
そして、それはある形で報われることとなった。
やがて、2000年にWWEに入団。
これが彼の人生を大きくかえることとなるのだった。
野獣バティスタの誕生
バティスタはそのハンサムな見た目、身長190㎝オーバーの巨体からすぐさまWWEの総帥であるビンス・マクマホンのお気に入りとなった。そして、2002年からは当時WWE最大のヒールユニットだったエヴォリューションの一員として参加。
すぐさま人気者となっていった。
やがて、2005年には悪玉から善玉に転向。
典型的筋肉ムキムキのタフガイとしてWWEをしばらくの間トップ選手となった。
しかしながら、いわゆる「玄人」的なプロレスファンはバティスタのことを好いてはいなかった。
上記の通りバティスタはスタミナに欠ける一面があった。
試合の最中にバテることがしばしばあり、対戦できる選手も限られていた。
またバティスタはもうこの頃になると30代後半になっていた。
ケガが多く増えていき、欠場することもまれにあった。
だが、バティスタはそんな彼らの意見を無視した。
それはある意味では成功を収めた。
2008年、彼のキャリアが大きく変わることがおきた。
当時WWEの支配者であったアンダーテイカーと試合を行うこととなった。
しかも、世界最高の大舞台「レッスルマニア」でだ。
デイブはこの時、アンダーテイカーと行った試合を今でも覚えている。
やがて、彼は次の目標が見えた。
映画の世界だ。
四角いリングから銀幕へ
2010年、プロレスのキャリアを一旦終えた。番組の設定上、試合に負けて追放されるという形であったがその実は彼の希望によるものだった。
銀幕の世界を目指していたのだ。
だが、彼の思っていたほど映画界でのキャリアはうまくいかなかった。
来る映画の打診はほとんどB級映画ばかりだった。
彼の思っているほどうまい話ばかりではなかった。
しかも演じる役はほとんど怪物ばかりだった。
彼はもっと様々な役に挑戦したかった。
そんな中、バティスタにプロレス復帰の話がきた。
しかし、運が悪いことに時は2014年。
善玉にブーイングが飛び、悪玉に声援が飛ぶという異常事態がおきていた。
それはバティスタも同じだった。
しかも最悪なことに、番組の大大会であったロイヤルランブルで彼は優勝してしまった。
これにファンは大ブーイングした。
彼のせいではなかったが、バティスタは最悪のタイミングで勝ってしまったのだ。
やがて、WWEでは短期の復活となった。
人生はままならない、彼は落胆した。
だが、同年彼が出演した映画が世界的な大ヒットを記録することとなった。
それは「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」だった。
そこで彼はドラックスというキャラクターを演じた。
ここで彼はようやくハリウッド俳優としてそのキャリアを本格的にスタートさせることになった。
そして、2019年。
彼は自身のプロレスのキャリアを終わらせる引退試合を行った。
相手はレボリューション時代の相棒であったトリプルH。
この時はヒール、つまり悪玉としての活躍だった。
これで彼のプロレス人生は終わった。
だが、野獣の快進撃は止まらない。
次は銀幕の世界こそ彼のリングなのだから。