スポーツアジェンダ

アンドレ・ザ・ジャイアント

大巨人の始まり

1970年代~1980年代にかけてプロレス界を支配していた男がいた。
彼の名前はアンドレ・ザ・ジャイアント。

元々はフランスで運送会社の社員として働いていたところをエドワード・カーペンティアという男にプロレスの世界へスカウトされた。

無論ただの男ではスカウトされるわけではない。

アンドレは10代のころから身長2mほどある、大巨漢だったのだ。


そのころの彼のリングネームは「モンスター・ロシモフ」。

その巨体と怪力を使い、対戦相手を圧倒するファイトスタイルを主としていた。

ある試合では、マウンテンマイクという300㎏近い巨体をしたレスラーを抱え上げ地面にたたきつけることもあった。


彼の怪力はすさまじかったのだ。
やがて、彼はフランスから活動拠点を北米や日本にうつすとそこでも大きな活躍をした。

後にWWF/WWEとなり世界最大のプロレスになるWWWFに入団した彼はそこで「アンドレ・ザ・ジャイアント」というリングネームに変わった。

WWWFの総帥であったビンスマクマホンシニアのアイデアでアンドレは世界中の団体を転々とする怪物として君臨した。

これにより、アンドレは事実上世界中のプロレスラーにその名を知られるボスとなった。

実際に彼は他のレスラーに「ボス」といわれていた。



世界最強の男、その裏側

日々世界中の団体をまわり戦うアンドレはしだいに他のレスラーから畏怖の対象となった。

そのころには身長220㎝、体重230㎏、握力は135、という規格外の巨漢に成長していた。

世界に広がるが、噂だけは狭く小さいプロレス界でアンドレは文字通りの「世界最強の男」として他のレスラーを怖がらせた。

当時、北米の団体ではベビーフェイスつまり善玉として活躍していた彼であったが裏の顔は他の選手を恐怖で支配する『暴君』でもあった。


ある日、アイアン・シークというイラン出身のレスラーと試合をすることとなった。

普通の場合、他団体の選手と打ち合わせを行いその段取り通りに試合を進めるというのが普通であった。

シークはアンドレの控室を訪ねこういった。

「ボス、今日の試合はどうしましょう」

するとアンドレ・ザ・ジャイアントは恐竜のようなうなり声をあげ叫んだ。

「出ていけ」

そして、試合が始まるとアイアンシークにその230㎏の巨体をぶつけシークの膝をつかむとその怪力でひねりあげた。

アイアンシークは元々アマレスで五輪イラン代表に選ばれるほどの実力者だった。

そんなシークがまるで赤子の手をひねるようにひねりつぶされたのだった。


アンドレはその巨体と怪力のみならず、テクニックも優れていた。
だからこそ、世界最強といわれた。

日本の古館一郎はアンドレをこのように評した「都市型破壊怪獣ゴジラ」。

アンドレはプロレスという世界を恐怖で支配する怪獣王であり破壊神だったのだ。

ゴジラは街を破壊する一方で地球を守るために戦うこともある。

そんなアンドレにも善行があった。

アンドレ・ザ・ジャイアントの逸話

ある日、アメリカの田舎町に巡業にいったアンドレと友人のレスラーたちはふらりと街の売店にたちよった。

アンドレはその売店でトイレと酒を購入するため車を出た。


するとそこへ、高級車に乗った地元の若者がやってきた。

若者の一団は泥酔しており、アンドレの友人たちに喧嘩を売り始めた。


その若者はレスラー顔負けの肉体をしていたこともありアンドレの友人たちはピンチに陥った。
そこへやってきたのが買い物を済ませたアンドレだった。

彼は上機嫌で若者たちに近寄ると笑顔でいった。

「どうしたんだ?」

アンドレの巨体にたじろいた若者たちはアンドレにしり込みをした。


そして、アンドレは車をつかむと怪力とともに持ち上げ横転させた。
喧嘩を売ってきた男たちはおびえあわてふためき逃げていったのだった。

アンドレはただの暴君ではなく、仲間に危害を加える相手に容赦をしないという一面もあったのだ。



アンドレの転落

そんなアンドレであったが、1980年代以降その栄光に限りがみえはじめてきた。

その転落の背景にあったのはアルコール依存症だった。

大酒のみで有名だった彼は巡業の最中に乗ったバスの中で瓶ビールを何十杯と飲み交わすということもあった。

ひどい場合は泥酔状態で試合をすることも多くあった。

そのころになると、スタン・ハンセンやハルク・ホーガンのような彼以上に人気を集める巨漢レスラーが増えていった。


とうとう、恐竜の時代が終わっていったようにアンドレは古い時代の化石になりかけていたのだ。

そして、1986年。

新日本のリングに上がったアンドレはある日本人レスラーともめごとを起こすこととなった。

その男は前田日明。
前田日明はアンドレのことを尊敬すべき先輩として信頼していた。

しかし、その日は何かが違った。
アンドレは前田の技をろくに受けなかった、それどころか試合中にガチの攻撃をなんどかいれてきた。

前田はこのままでは「殺される」、恐怖に覚えた彼はアンドレの膝に蹴りを数発いれた。

この時だった。

外人レスラーを支配していた大ボスのアンドレは地面に倒れ戦意喪失をした。
アンドレはこの時転落をした。

今現在でも、大きな話題を集めるこの騒動だが、その真意には「まだ俺もいける」と周囲に見せたいアンドレが当時新進気鋭として活躍していた前田をつぶして周囲にアピールしようとしたというのが本音であったといえるだろう。

いずれにせよ、この時アンドレの時代は終わりを告げたのだった。



伝説になった大巨人

前田アンドレ以降、アンドレはWWFに名前を変えたWWWFのみにしか上がらなかった。
WWFでのアンドレは明らかに全盛期を過ぎていた。

重くなりすぎた体重、そして依存しすぎたアルコールの量は増えていった。

やがて、WWFではホーガンがほとんど主人公となりアンドレは倒される悪役という役割が増えていった。
もうこのころにはアンドレはほとんど動けなくなっていた。

そして、時代は90年代にうつると全日本のマットにも姿を出すようになった。

そこで同じく巨人症に悩まされた日本の巨人であったジャイアント馬場と交友をはぐくんだ。


しかし、1993年。

46歳という若さでこの世を去った。

アンドレ・ザ・ジャイアントの死因

死因は急性心不全だった。

しかし、その死後アンドレの功績をたたえるべくWWFはWWF殿堂という賞を開きそこで第一号としてアンドレが選ばれることとなったのだった。

そして、現在ではアンドレ・メモリアルといわれるトロフィーが作られるなど彼の存在はシンボルとして色濃く残っている。

彼の存在は今現在の若いプロレスファンの間でも今でも語られており、その存在は一種の神話の登場人物として現在でも残っているのだ。