糖尿だと言われた主人
小柄で細くて、痩せすぎの主人がある日突然、糖尿だと言われました。医者からそう告げられたとき私は自分の耳を疑いました。
これから先のことを考えると、地獄の底へつき落とされたようで、頭の中が真っ白になりました。
何故なら看護婦であった私は、糖尿病が健康な人の平均寿命より十年近くも命を縮める恐ろしい病気であることを知っていたからでした。
発病は今から18年前、夫が念願のパン屋を始めたばかりの頃のことです。
ある日、主人は腕にできた小さな湿疹が気になり、何気なく皮膚科を受診しました。
医者に薬をもらってしばらく治療しましたが、湿疹は一向に消えません。
「この程度の湿疹がこの薬で治らないのはおかしい。もしかしたら…」そう考え、念のためと血液検査をしたところ、血糖値が350もありました。
まさか自分の夫が糖尿病に!とても信じられませんでした。
でも、振り返ると思い当たる節はあります。
何しろ当時の夫の生活は、朝食はもちろん、昼食さえも食べる暇がなく、夜になって落ち着くと三~五合のお酒を飲みながら、1日分の食事を一度に食べていました。
これでは身体にいいわけがありません。
その頃の私達はパートさんたちを相手に早朝から夜遅くまで働き続け、その上パン屋の経営も不安定で、将来を考えると一体どうなるのかと、ストレスに潰されそうな日々を送っていました。
開店の忙しさで気がつきませんでしたが主人は喉の渇きを覚えて水をよく飲み、トイレも近く、回数も多かったようです。
そういうことで、夫は正真正銘の本物の糖尿病患者になってしまいました。
ある日夫は「糖尿は治りますか?」と医者に聞いたところ、答えは「治りません」と、即答です。
その上、「血液型はA型からB型になりますか?の質問がないように、糖尿病が治りますかの質問もあり得ません」そう宣言されました。
その返答に夫はガックリと肩を落としてしまいました。
私が長い看護婦の経験から見てきた恐ろしい合併症のことを話すと、夫はやっかいな病気になってしまったことを心底悔やみました。
そしてそれまでの毎日の暮らし振りを後悔していました。
ここから私達夫婦の糖尿病の恐怖から逃れるための、長い闘病記が始まったのです。
恐れていた合併症
合併症は全身に起こります。
糖尿病は血管の病気ともいわれますが、血管は身体の隅々にまで行きわたっているので、合併症もじわじわと身体のあちらこちらを侵し、生命までも危うくさせる恐ろしいものです。
合併症は発病すると五年後には、たとえ自覚がなくても身体のどこかの神経を傷み始めます。
私の夫は十八年前の糖尿病発病後は、合併症が恐ろしくて食事制限を始め、大好きだったお酒の制限などをしたことで、長期血糖値は六パーセント台を推移し、まずまず良好といっていい状態が続いていました。
もちろん、病院の薬も飲んでいませんでした。
ところが、我がままが出たと言えばいいのか、ふとした気の緩みから、せっかく我慢していた飲酒に再び手を出してしまいました。
夫は飲んではいけないと思いつつ、お酒に手を出してしまったのです。
焼酎なら飲んでも大丈夫だとか、飲むならお酒よりもビールの方がいいなどと言う人がいますが、それはとんでもない誤解です。
問題はカロリーですから、何を飲んでも飲み過ぎれば全く同じことです。
アルコールは徐々に飲む量が増えていきます。
夫はチュウハイとビールを合わせて毎日1.5リットルぐらい飲んでいました。
せっかく落ち着いていた長期血糖が七パーセント台になり、すぐに八パーセント台へと、アッという間に上昇してしまいました。
アルコールを飲み続けて十年、いつかは必ずそのときが来ると思っていましたが、とうとうその日がやってきました。
ある夜のことです。
就寝のために入った布団の中で、夫は自分の足の冷たさに気付きました。
とうとうその時が来たと、ハッとするような胸の高鳴りをその時に 覚えたと言います。
いつか発病するのではという不安が常に頭の片隅にありましたが、それはやはり大きなショックだったようです。
心臓が凍るような思いから、とても落ち込んだ様子でした。
足が冷えるのは合併症の始まりです。
血液の循環が悪くなるために、爪先が冷たくなるわけです。
糖尿病は血管の病気といわれるように、あちらこちらの血管が詰まり始めます。
アルドース還元酵素が活性化し、神経にも異常をきたします。
悪化すると生爪をはがしても痛みを感じなくなるとか、靴底に紛れ込んだビンのかけらを踏み付けたまま長時間歩き続けて大けがをしたという話も聞きました。
普段から、合併症の恐ろしさに怯えていたにも関わらず、再び飲み始めたお酒によってとうとう合併症に襲われた夫は、アルコールの飲酒を止める以外に道はないと覚悟を決めたのでした。
糖尿病を根本から治療する方法とは?