90年代後半~2000年代前半
日本のバスケキッズにとって「マイケル・ジョーダン」とはなんだったのか
~エアジョーダン5を履いて体育館に入ったあの日を振り返る~
1997年~2003年頃。
あの時代、中高生バスケ界は完全に「ジョーダン教」だった。
テレビをつければ流れてくるNBAハイライトはほぼマイケル・ジョーダン。
ビデオ屋に行けば『Come Fly With Me』『Air Time』『Ultimate Jordan』が棚を占領。
フェイダウェイのあの極端に後傾するフォーム、ダブルクラッチで空中で2回ギアチェンジする離れ業……
「人間やめますか? ジョーダンになりますか?」レベルだった。
中学生のバスケキッズにとって、ジョーダンはただの選手じゃなかった。
神だった。
エアジョーダンは「最強のステータスシンボル」
当時のバッシュ事情を一言で言うと
「機能 <<<< ステータス」
特にエアジョーダン5(1990年発売)は別格だった。
- 反射材の「23」
- 戦闘機インスパイアのシャークティース
- クリアソール
- そして当時で1万5千~2万円という破格の値段
これを履いて体育館に入ってきた瞬間、周囲の視線が一気に集中した。
「金持ち+おしゃれ+バスケ上手そう」の三冠王確定である。
半年ごとに新品バッシュを買ってもらえる家は本当に少数派で、
「中1でジョーダン5ゲットした」ってだけでクラスのヒエラルキーが動いたレベルだった。
でも実際、体育館では……滑る(笑)
ここで衝撃の事実。
ジョーダン5、体育館のフローリングではグリップが絶望的に弱い
クリアソールの初期ロットはゴムが硬く、ちょっと埃がついただけで
「ズルッ!→尻もち」
フェイダウェイ打とうとしてコケる名物現象が発生。
だからガチ勢は
- アップはジョーダン5
- 試合はウェーブ、T-MAC、エアマックスハント、スポルディングなどに履き替え
という「セレモニー」をやってた。
ベンチで履き替える瞬間も、みんなチラチラ見てくる。
まさに「見せバッシュ」の極みである。
嫉妬とマウンティングの暗黒面
一方で、悲しい現実もあった。
家庭の経済力=バッシュの値段=本人の価値
みたいな歪んだ価値観が一部に存在したのも事実。
小学校からバスケやっててエースだった子が、
新参者で裕福な子がジョーダン5を履いてきただけで劣等感と嫉妬を爆発させ、
いじめや嫌がらせに発展する……
そんな話は当時、あちこちの体育館で起きていた。
それでも、あの時代は最高だった
でも今振り返ると、あの頃のバスケキッズは本当に熱かった。
- 舌出してレイアップ
- フェイダウェイのフォームを鏡の前で100回練習
- ジョーダンのビデオをスロー再生して研究
- 体育館の外壁でダンク100回チャレンジ(届かないけど)
ジョーダン5が滑ろうが、嫉妬されようが、
「俺もいつかジョーダンみたいになりたい」
という純粋な気持ちでみんなコートに立っていた。
あの反射材の「23」が体育館の蛍光灯に光る瞬間、
俺たちは確かに「カッコいい」と思えた。
今、あの頃ジョーダン5を履いてた子たちも、
いじめちゃった子たちも、
みんな30代後半~40代前半のおっさんだ。
でもきっと、心のどこかで
「あの日の体育館の匂い」を覚えてるはずだ。
お疲れ様でした、90年代後半~2000年代前半バスケ世代。
俺たちはジョーダンと一緒に青春したんだよな。

